真実を語ることよりも、ウソを貫き通すほうが難しい

ドナルド・トランプがアメリカ大統領に就任してからというもの、世の中は「真実とウソ」に関してのニュースばかりになりました。

私たちは小さな頃から「ウソをついてはいけない」と学びながらも、世渡りには「方便としてのウソ」が必要と知っています。「真実とウソ」に、どう向き合うべきなのか。以下の言葉が、そのひとつの答えになるかもしれません。

「つねに真実を話さなくちゃならない。なぜなら真実を話せば、あとは相手の問題になる」

俳優のショーン・コネリーは、映画『大列車強盗』の撮影中、監督にこのようなことを話しました。この言葉の意味を読み解いていきましょう。

ウソをつくと、貫きとおすためにコストがかかる

場を取り繕うためにウソをつく。そのウソを真実にするためには、さらなるウソが必要になる。誰にどんなウソをついたか覚えておかないといけない…。

ウソをつくのは簡単ですが、それを貫きとおすためのコストは非常に高いものです。ウソがばれないか常にビクビクして暮らしていかなければなりませんし、発した言葉は自分を縛ります。精神的な負担は計り知れません。

ならば、たとえ不都合でも、真実を述べた方がいいのではないでしょうか。

ショーン・コネリーのこの言葉は、真実を語ることについて、「正義」ではなく、その「実利」を考えさせてくれます。

自分に不利な真実でも、発したあとは相手の問題になる

真実を語ること。それは、「自分の問題の所在を、一旦相手に移すこと」と言い換えられます。

たとえ自分に不都合なことだったとしても、それが真実であるならば、話した瞬間から自分から切り離すことができます。それによって何が起こったとしても、それは「相手の問題」ですし、自分がどうするかはそれから考えればいいこと。なぜなら、それが真実だから。

真実を受け入れない人たちからはバッシングされ、場合によっては社会的地位に影響を受けることもあるでしょう。しかし、ウソつきの烙印は免れることができます。
受け入れるしかない真実を、あるがままに受け入れる。ウソではなく、真実を貫き通すほうが、精神的にラクなのは間違いありません。

真実(トゥルース)が軽視される世の中だから

オックスフォード大辞典が、2016年を象徴する言葉『ワード・オブ・ザ・イヤー』に「Post Truth」を選んだのは記憶に新しいでしょう。

「客観的な事実よりも、感情や個人的な信念が訴えが影響力を持つ状況」などと訳されるこの言葉は、真実の凋落(ちょうらく)を意味しています。

日本国内でも、こういったウソにまつわるニュースが溢れていますが、もちろん疑問を感じている人もいるでしょう。ウソがはびこる世の中は、ついた当人はもちろん、その中で生きていかないとならない普通の人(=真実を求める人)まで疲労させてしまうものです。

「こんな時代だからこそ、真実で話そう」

今から40年ほど前にショーン・コネリーが語った言葉から、私たちはこのことを学ぶべきなのかもしれません。

渕上聖也

1982年生まれ、京都出身。
大学卒業後、出版社での営業職やカフェ店長などを経験、2010年ごろから執筆活動をスタート。

2013年にはライターとして独立し、IT企業を中心にさまざまなメディアと関わり合いながら、研鑽を積んできました。201610月より㈱リブセンスにジョインし、現職。