張良、諸葛亮、司馬懿、中国屈指の3軍師に学ぶ「逆転の戦略」とは

ビジネスの現場でも、国と国がメンツをかけて闘う戦争も、重要なのは戦略。歴史とは勝者が築いてきたものですが、その影には、勝者の側で絶えず次なる戦略を練っていた軍師の存在があります。

そうした権力者、軍人、リーダーなど、さまざまな英雄たちの考えた戦略をビジネスに活かす勝利のルールを導き出したのが『戦略は歴史から学べ』です。

3000年という歴史の中から見出された勝者の戦略を1冊に凝縮し、現代のビジネスに置き換えた解説がわかりやすいと評判の本書から、今回は影の立役者たる軍師にフォーカスした第2章をピックアップ。中国の3賢人から私たちが学べるのは、ピンチをチャンスに変える逆転力の戦略です。

弱さを最大の武器とした劉邦の懐刀「張良子房」

圧倒的なリーダーシップで多くの人間を率いるカリスマ社長と、自分の非力を認め数々の優秀な人材の助言を求める敏腕経営者。ビジネスの場において、どちらが優れているか。それは一概には言えません。

しかし重要なのは、自分の能力を見定めること。強みを勘違いしていたのでは、決して勝利することはできません。その点、地方の小役人に過ぎなかった漢の劉邦はよく分かっていました。ライバルとされる楚国の将軍・項羽に比べ、名門でもなく、武勇もからきし、人並み外れた知才を持つわけでもないことを理解していた劉邦は、弱さを武器に闘ったのです。

 

知恵のある部下の助言に従い、強敵を避けて進軍し、得た名声や褒美は活躍した部下に分け与え、やむなく闘わざる得ない場合をのぞき何度でも逃げる。

劉邦は「弱さのマネジメント」で項羽を滅ぼし、秦国を打倒。およそ400年続く漢帝国の基礎をつくりあげるという快挙を成し遂げました。

そんな劉邦に惚れ込んだのが、かつて秦の始皇帝を暗殺しようとした稀代の軍師、張良。彼の才気あふれる提案をことごとく採用したことで、すべてで勝る項羽を時間とともに圧倒し、ついには離間策(仲たがいをさせる策略)によって名軍師・范増を項羽の元から排除。自分の圧倒的なカリスマに頼り切った項羽は、范増無き後の紀元前202年、垓下の戦いにて敗北し自刃します。

劉邦は優れた人格者でしたが、彼が漢帝国をつくり上げることができたのは、張良、韓信、彭越といった名だたる名将のおかげ。規模に関わらず、ビジネスの現場で働くリーダーは、自分がどんな能力を持っているのか、何が足りないのかを自覚する必要があります。

 

この「弱さのマネジメント」で一時代を築いたのが、パナソニックの松下幸之助。丁稚奉公で独り勝ちを避けることを学び、病弱なことから人に仕事を任せられる組織体制をつくりあげました。

大恐慌時にも社員をリストラせず、工員を営業に回すなどして不況を乗り切ったことから、「人心を掌握する経営」を実現したと言われています。足るを知り、足りずを頼る心がけが、弱者でも勝利を得られる秘訣なのかもしれませんね。

劉備による天下統一のルートを再定義した「諸葛亮孔明」

劉邦が建国した漢帝国。その400年に渡る平安が陰りを見せはじめた紀元184年、中央政権の腐敗と圧政に耐えかねた民衆の反乱が起こります。これを機に群雄割拠の時代が到来、中国大陸は再び戦火にまみれます。

日本でも有名な歴史書『三國志』は、魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備の3群雄が台頭するこの時代を描いたものです。

関羽・張飛といった剛将を抱えながらも拠点を持たず放浪する劉備が、荊州の地でやっと得た軍師が、かの有名な知将・諸葛亮孔明その人です。彼は劉備に「天下三分の計」を授けますが、その内容は将来を見すえた驚くべき献策でした。

人は自らが描いた勝利への勝ち筋を、なかなか改めることができません。勝てないのは自分の努力が足りないから、もっと寝る間を惜しんで働かなくてはいけない……!そんな過剰な努力志向は愚策でしかありません。もし今の道筋に暗雲が立ち込めたなら別のルートを検討してみる、そんな逆転の発想が必要となることもあります。諸葛亮の「天下三分の計」は、まさにそういった内容でした。

打倒曹操を望む劉備に正面から挑むのは愚策であると進言し、すでに地盤を固めた孫権と手を組み、両者から手薄となっている益州を手に入れることで、天下に三分する。そうして拠点をつくった後に孫権と一緒に曹操を打倒し、二強状態を経てから孫権を滅ぼし天下を統一するという算段だったのです。目の前の敵を討ち果たすことしか考えていなければ、決して思いつくことのない戦略だったと言われています。

このまま曹操と孫権が争い、曹操が勝利をおさめれば、もはや天下に敵はいないも同然。そうなると弱小勢力にすぎない劉備は、いとも簡単に滅ぼされてしまうでしょう。しかしこの天下三分の計なら、ともに曹操を討つことで孫権に恩を売れるだけでなく、自らの拠点をつくることもできます。ようするに諸葛亮が行なったのは、勝利の道筋を再定義することで、ピンチをチャンスに変えたことなのです。

 

再定義で成功を掴んだ現代の商品といえば、ふせん紙の定番・ポストイットが有名。粘着力の弱い接着剤なんて使い物にならないと思いがちですが、ふせん紙においてはその絶妙な「弱さ」が武器となり、成功に結びつきました。

同様に、在庫の少なさをメリットに変えたトヨタ生産方式や、古民家をあえて京風にリフォームしたホテルなども、勝ち筋を再定義したと言えるでしょう。

 

本書では、現代のビジネスにおける再定義でヒットした商品として、以下が挙げられています。

・失敗した接着剤の弱さを活かしたポストイット

・在庫の少なさをメリットに変えたトヨタ生産方式

・古民家を京風にリフォームしたホテル

・ケータイが通じない=喧騒のない静けさを売りにした民宿

ちなみに、劣勢がひっくり返るほどの内容だった天下三分の計が崩れたのは、計の要となる関羽が敗死したこと。諸葛亮は南征で国力を増強し魏に対峙しようとしましたが、最終的には魏の軍師・司馬懿仲達を破ること叶わず、蜀の天下統一はなりませんでした。

たったひとつの綻びが敗北につながる。そんな事実も、私たちは歴史から学びとることができるでしょう。

「司馬懿仲達」が選んだ、勝てるマーケットへの迂回戦略

さて、荒れに荒れた中国大陸を、再び統一したのはどの国だったのでしょうか?それは国力に勝る魏でもなく、安定した地盤を持つ孫権でもなく、人徳者の劉備でもありません。天下三分の計を引いた諸葛亮最大のライバル・司馬懿仲達の一族が建国した晋(しん)が統一を果たし、乱世に幕を引いたのです。

司馬懿は元々、魏の臣でした。諸葛亮の度重なる侵攻を食い止めたことで信を得た司馬一族は、魏の権力を掌握。とはいえ、曹一族の力はあなどれません。敵が支配力を持つ状況を無理に突破しようとせず、皇帝や重臣が一斉に都を離れる瞬間をひたすらに待ち続け、いざそのタイミングでクーデターを実行。魏を奪い取ることに成功します。確実に勝てるマーケットだとわかりつつも、まだその時期ではないと判断し、あえて迂回を選択する。それが、諸葛亮の智謀に苦しめられた司馬懿が取った、迂回戦略だったのです。

競合に邪魔されず、新しいマーケットを切り開く。そのために迂回戦略は大きな効果を発揮します。腕時計業界に進出を決めたアメリカのタイメックス社は、宝飾品店には出店しませんでした。スイスの高級時計が並ぶ店では勝てないと見越し、スーパーの店頭で販売することを決めたのです。結果、低価格時計の新しいマーケットを開拓することができました。

もっとわかりやすいのは流通大手のAmazonです。既存の書籍通販網を使わず、独自の路線を開拓。これが消費の新しい潮流を生み出しました。このままではマズイと感じた既存の書店が通販事業を始めるも後の祭り。Amazonの絶対的優位は推して知るべしとなりました。

 

本書によると、迂回戦略のポイントは2つ。

・相手の土俵に直接攻め込まない

・大手が不得意としているマーケットに新しい潮流を生み出す

強力なライバルを避けて闘うことで、最終的には疲弊せずに勝つ。それが司馬懿の取った迂回戦略という逆転力でした。

 

ちなみに司馬懿の息子・司馬昭も、見事な迂回戦略で蜀を滅ぼすことに成功します。蜀の首都・成都に向かう途中にある天険の要塞・剣閣で立ち往生を食らった司馬昭軍は、剣閣を迂回。断崖を抜け山肌を切り開き、剣閣の裏から成都を強襲し、見事蜀を降伏させたのです。父・司馬懿に引けを取らない迂回戦略により、晋による天下統一は成し得たと言えるでしょう。

渕上聖也

1982年生まれ、京都出身。
大学卒業後、出版社での営業職やカフェ店長などを経験、2010年ごろから執筆活動をスタート。

2013年にはライターとして独立し、IT企業を中心にさまざまなメディアと関わり合いながら、研鑽を積んできました。201610月より㈱リブセンスにジョインし、現職。