もし田中角栄が上司だったら一生付いて行きたくなる5つのエピソード

第65代総理大臣を歴任した田中角栄の没後25年が迫る今、石原慎太郎著「天才」を皮切りに巷では“田中角栄ブーム”が起きています。角栄の持つ天性の人たらし力や豪快すぎて思わず「あっぱれ!」と言いたくなるエピソードの数々。

その背景には、リーダー不在とも言われる昨今において、今求められる人物像が彼のような存在だからなのではないでしょうか。きっと「会社に田中角栄のような上司がいたら……。」と思う方も少なくないはず。

まさに天才と称される田中角栄の「部下であれば一生付いて行きたくなる」名言やエピソードをご紹介します。

出来ることはやる。出来ないことはやらない。しかしすべての責任はこの俺が取る。

「本当に本音で話しているのか?」こんな上司に心当たりはないでしょうか。こうした上司の建前とも思える言動には「弱みを出したら部下に付け込まれるというのではないか」といった感情が働いているのかもしれません。なぜなら自分の本音を隠すことで自らの威厳を保ち、部下との関係性が築けると考える傾向にあるからです。

こんな上司がいくら「俺について来い!」と言っても不安しかありません……。一方で、
田中角栄は自分の弱みを隠すことはせず、むしろさらけ出すことで周囲の共感を得ていきます。それが大蔵大臣就任時の発言です。

「私が田中角栄だ。小学校高等科卒業である。これから一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。我と思わん者は誰でも大臣室に来てほしい。上司の許可はいらん。出来ることはやる。出来ないことはやらない。しかしすべての責任はこの俺が取る。以上」

引用: 宝島社 別冊宝島編集部「田中角栄100の言葉 日本人に贈る人生と仕事の心得」

シンプルなメッセージながら、まさに“腹を割って話す”コミュニケーションの取り方と、良い意味でリスクを恐れずチャレンジできるように鼓舞する発言は、エリート官僚たちの心を鷲掴みにしたそうです。確かに、ここまで言ってくれるのであれば思い切って仕事ができますよね。

一人ひとりを気にかけ官僚たちの信頼を構築していった角栄のエピソード

「上司と二人っきりになるのは気まずいな……。」上司と業務上のやり取りはできても、何気ない雑談をするのが苦痛で仕方ない、そう思う方は少なくないのでは? また、逆も然りで部下との年齢差を感じて距離感がわからないなど。一見すると些細なことですが、毎日積み重ねれば苦痛にも感じますよね。このような立場や年齢の違いによってコミュニケーションがうまくできない原因の一つに「共通言語が少ない」ことが挙げられます。

まさに角栄は共通言語を創りだす「天才」でした。それにくわえ、天性の人懐っこさを持ち合わせていたこともありますが、何よりも人を知ろうとするための努力を日々惜しまなかったといいます。毎晩寝る前に枕元に国会議員のプロフィールや官庁幹部職員データの一覧が掲載されている「政官要覧」を置いて読み返していたそう。

そして、官僚に向けて「いつも話は聞いているぞ」とねぎらいの言葉をかけるのです。そうすることで官僚たちは「気にかけてもらっている」と感じ、角栄に信頼を寄せていったと言います。

たしかに自分を理解してくれている、気にかけてくれていると感じるような言葉をかけてもらえたら、「もっと仕事を頑張ろう」と前向きな心持ちで仕事に励めそうです。

オレは君を使いこなせる。どうだ。天下を盗ろうじゃないか

前述にもあるように、人を知ろうとすることに努力を惜しまなかった角栄は、立場が対極にいるような相手すらも理解し受け入れた有名なエピソードがあります。

角栄が活躍できた背景には、“角栄の右腕”とも言える秘書を大事にしてきたからだ、と言われています。その秘書の名は早坂茂三。なんと早坂は「東京タイムス」の政治部記者を経て角栄の秘書となった異色の経歴。権力を監視し、ときには批判するという、一見政治とは相反する立場に身を置いていた早坂を秘書に迎え入れる際、角栄は最高の口説き文句を投げかけました。早坂自身が書いた光文社刊の書籍「鈍牛にも角がある」には、実際の言葉が綴られています。

「オレは十年後に天下を盗る。お互いに一生は一回だ。死ねば土くれになる。地獄も極楽もヘチマもない。オレは越後の貧乏な馬喰の倅だ。君が昔、赤旗を振っていたことは知っている。公安調査庁の記録は全部、読んだ。それは構わない。オレは君を使いこなせる。どうだ。天下を盗ろうじゃないか。一生に一度の大博打だが、負けて、もともとだ。首まではとられない。どうだい、一緒にやらないか」

引用:光文社 早坂茂三著「鈍牛にも角がある」

さらにこの話で言えば、早坂の過去も理解した上での発言であるのも特徴です。「あなたの置かれた境遇、そしてこれまでの努力を理解した上で評価しています」というような真摯な姿勢や言葉は「この人についていきたい」と思わせるまさに殺し文句です。

田中角栄の度量がわかる、トラブル解決の際に渡したメモとは

人はリスクを負うことを嫌う生き物。それはビジネスでも同じで、自分はリスクを追わず部下に責任を押し付ける、そんな上司がいたら誰でも気が滅入ってしまうものです。それに加えて自分の手柄まで横取りされてしまってはたまったもんじゃないですよね。

角栄はそんなリスクを恐れず、他者の抱えるリスクすらも自ら進んで負っていく有名なエピソードがあります。

角栄が面倒を見ていた若手の議員が女性関係の不始末が原因で、今日中にどうしても100万円が必要という事態を受け、角栄は一枚のメモとともに必要以上の金額である300万円をその議員に贈ったと言います。メモには次のような言葉が残されていました。

一、まず100万円でけりをつけろ
二、次の100万円でお前の不始末で苦労したまわりの人たちに、うまいものでも食わせてやれ
三、次の100万円は万一の場合のために持っておけ
四、以上の300万円の全額、返済は無用である。

引用: 宝島社 別冊宝島編集部「田中角栄100の言葉 日本人に贈る人生と仕事の心得」

メモを見た議員は涙を流したといい、その後、どんなことがあっても角栄の元から離れることはなかったと言います。

トラブルは未然に防ぐのが一番ですが、人間誰しも過ちは起こしてしまうもの。そんなときに我関せずの態度ではなく解決の道筋を自分事として示してくれるような上司がいれば「次は同じミスをしない」と新たな気持ちで頑張れそうですよね。

原動力は地元愛。『日本列島改造論』に込められた角栄の思い

上司の愚痴を聞くのにうんざり……。こんな経験はないでしょうか?

人間は環境に左右されてしまう生き物です。職場で言えば「上司がどのような働き方をしているか」で何となく仕事への向き合い方も変わりますよね。どうせなら尊敬できる上司がいる環境で活き活きと仕事がしたい方も多いはず。

角栄の場合、内閣総理大臣のポジションに立っていたわずか約2年半で数々の功績を残した原動力に地元新潟への強い思い入れがありました。田中角栄が29才で初当選したとき地元の人々にこう呼びかけました。

「裏日本といわれている雪国の新潟を表日本にするには三国峠をダイナマイトで吹っ飛ばしてやればいい。そうすれば新潟に雪は降らなくなって、その土を日本海にもっていけば佐渡島を陸続きにできる。そうなったら、逆に東京から人が新潟に出稼ぎに来るようになる」

この発言の背景には幼少時過ごした地元での生活が原体験となっているそうです。雪国に住む人の生活を便利にし、都市部に住む人々との格差を小さくしたいという角栄の強い志と、ひたむきに政治へ向き合う姿勢は地元新潟からの信頼を確固たるものにしました。

ちなみに、角栄自身が執筆した「日本列島改造論」では

「とくに、表日本と裏日本を結び、日本列島を輪切りにする横断道路の建設に力を入れるべきだ」
引用:日刊工業新聞社 田中角栄著「日本列島改造論」

と述べています。

これら角栄の構想は、今の日本中に張り巡らされている高速道路建設に大きく影響を与えたと言われており、ここまで強い意志を持った人であれば尊敬はもちろん、素直に「力になりたい」と思えますよね。

まとめ

田中角栄の名言やエピソードを聞いて興味を抱いた方も多いのではないでしょうか。きっとこんな人が上司だったら……と感じる人もいれば、中にはドキっとした人もいるかもしれませんね。

天才と称される田中角栄のエピソードでよく語られる「人の心を動かす力」「観察する力」「共感を生み出す力」。これら角栄の持つ哲学からはマネージメントについて学ぶエッセンスが多く盛り込まれています。
きっとマネージメントにまつわる課題を解決するヒントが田中角栄の生き方から得られるでしょう。

鈴木里緒

1993年宮城県生まれ。山形大学在学中。2014年より執筆活動を始める。webを中心に複数媒体で企業などへの取材記事を書いている。

執筆関心テーマは働き方、コミュニティデザイン、ダイバーシティ。